第一話 牙

1.侍


空色のロウソクが灯る。

(さて一人目…?)滝は首を捻った(なんだぁ?いきなり変な野郎だ。)

火を灯した人物は、マントか黒い布だかをすっぽりとかぶっている。 滝は『野郎』と思ったが、顔どころか男か女かす

ら判らない。

左隣に座った志度が、軽く肘をいれてきた。

(おい)(判ってるよ。仕事だろう)

じろじろと無遠慮な視線を注ぐ。 彼らは審査員だ。 『採点』する為には相手をよく観察しなければならない。


件の人物は、布の端…手をフードに差し入れた。 フードをめくるかと思いきや、そのままうなじを探っている様子。

チャラ…チャラ… 固いものが触れ合う音がする何かを引っ張り出し、それをロウソクの脇に置いた。

(?) それは奇妙な品であり、すぐには見当が付かないものであった。 じっくり検分すると、白い骨のようなものが

紐に繋がれている。 かの人物は、これを首に掛けていたのであろう。

(これは…動物の牙のようだが?…む?)

ずらりと繋がれた『牙』、中に一つだけ整った三角形をした物がある。 ろうそくの明かりをそのままの形に弾くそれは

明らかに人の手になる物だ。

(鏡?…いや、刀の切っ先?) 滝はその奇妙な首飾りを注視した。


音もなく黒マントが面を上げた。 始めるらしい。

「昔…ワガ母ノ母ノ、ソノマタ母ノ…」黒マントがしゃべり出した。

(女…か…)

確かに女の声なのだが…奇妙に逞しさを感じさせる声が闇のなかを滔々と流れる…


−−−四百五十年程昔 山城の国の山中−−−


しぃ…しぃ…しぃ…しぃ… 

(…蜩か?…儚きものよ…) 男は破れの目立つかさをつぃと持ち上げ、木漏れ日に目を細めた。 傘の下の顔は決

して若くない。 四十を大きく超えているだろう。

しばし蝉の声に耳を傾ける。

ゴッ…ゴホッ…ゴホゴホゴホッ… 突如男は激しく咳きをした。 体をくの字に折って、手を突いて咳き込む。

ゴッ… ようよう咳が止まると、男は口元に当てた手を検める。

眉を寄せ、懐から紙を取り出して手を拭う。 そして、何事もなかったかのように歩き始めた。

獣道というよりは、林の下草に出来た筋を辿るようにして男は歩み続ける。

腰に揺れる大小とその物腰が、彼の生業を物語っている…が、身なりが妙に粗末であった。


侍の足が止まった。 森の中に不自然に立つ一つの卒塔婆。

「何故かような場所に卒塔婆が…」墨で書かれたかすれた文字を読む。

「『真地捨手得瑠』戒名にしては妙だが…」

首を捻りつつ、侍はそこを立ち去ろうとする。

ごぅ… 

(…?)背後で何やら太い音がした。 足を止め辺りを伺う。 が、それっきり音はしない。

ふ… 侍は口元だけで微かに笑う。 (残り少なき命…それでも惜しい…か)

再び歩き出す侍。 その背後で木が微かに揺れた…


唐突に林が終わった。 そこからは細い道が下り坂になっていた。 下に見える田畑と人家…その殆どから煙の筋が

上がっている。

(夕餉の煙か…) 気がつけば陽は山の稜線にかかり、侍のいる辺りも薄く闇が漂いだしている。

侍は足早に道を下っていった。


「ごめん。 家主はおるか」一軒の農家で侍は一夜の宿を乞うた。

「…」日に焼けた年配の百姓が、囲炉裏の向こうからじろりと睨む。

「ここはおら達の寝床だ。納屋はいっぺぇだ。他をあたりな」

侍の頬が微かにゆがむ。 戦が続くこの世では、よそ者は厄介者以外の何者でもない。

「邪魔したな」「待ちねぇ」出て行こうとした侍を百姓が呼び止めた。

振り返った侍に言う。

「村おさのところにいきなっせ。 ちっと厄介ごとが起きているでよう…」侍の大小をじろりと見る。

「そいつが竹光でなければの話だがよう…」百姓はそう言うと手ばなをかんだ。

侍は軽く頭を下げ、無言で立ち去った。


「…あんた、山城様の所の侍か?」村おさは向かい合って座る侍に、汚い茶碗で白湯を勧めながら領主の名前を出し

た。

「…いや…」侍は答えた。 粗末な身なりを見ればそのくらい判るだろうにと思いながら。

「そぅけ…」村おさは言葉を切った「…あんた、何が使える?槍か?刀か?」

「刀だ」ボソリと答える。

「そうけぇ…」また黙る。

侍は村おさの態度にいらだった。

「村おさ殿。はっきり聞かせてもらえぬか?困りごとが在るのではないか? 山賊か野武士でも…」 「いんや、人で

はねぇだ」

「では熊でもでたか?」

村おさは黙り、一度息を吸ってから吐き出すように言った。

「鬼だ」


今度はそれを聞いた侍が黙リ込んだ。 (鬼…)

この頃、鬼の姿は後の世に伝えられるような決まった物ではない。 人ならざる人の形をした獣…それが鬼だ。

村おさは続ける。

「一月ほど前になるかのぅ…五作ん所に預け取った黒べこが…喰われよった…」

「牛を…一晩でか」

「いんや。じゃが、はらわたを全部持って行きよったでよ。こりゃまた残りを食いに来るにちげぇねぇって事になってよぉ

。 そのまんまにして、かわるがわる番をしとったらおめぇ…」

「『鬼』が来たと…見たのか?」

村おさは困ったような顔で頷く。

「丑三つ時だったでよ、はっきりとは見えなんだが…目が…」

「目が?」

「ひかっとった…月明かりで。んで頭に角があったでな…」


むぅぅぅ… 侍は深く唸る。 百姓どもが獣を見間違えたのかもしれない。 だとしても、牛を食い殺す獣だ。 きわめて

危険だ。

侍は村おさの話を反芻する。 あれこれ考えているうちに、疑問が湧いて来た。

「村おさ殿。山二つ向こうに山城の砦があったろう。そこに頼もうとは思わなかったのか?」

「あいつらはだめだぁ。退治してやるからここに連れて来いなんてぬかしやがった」憤然として言う村おさ。

苦笑する侍。 彼もその事を考えていたのだ。 鬼だろうが獣だろうが、山に住んでいるのならばまずねぐらを見つけ

なければならないのだろう。 しかし、それこそが一番大変なのだ。

(…つまり探し出すのもやれと言う事だな…)


気がつくと村おさがじっと彼を見ている。

「どうだぁ…」

「ふむ…報酬は…」

途端に村おさが渋面を作る。 人一人を雇う金は消して安くない。 鬼退治の支払いで村が左前になっては笑い話に

もならない。

「…鬼が退治できるまで…三食と…晩には酒が欲しいな…あと寝起きできる場所だ」

「…」拍子抜けする村おさ。 貧しい村にとって決して小さくない負担ではあるが、それでも驚くほど安い。

「どうだ」「…あ…あぁ。お前様がよければ、おら方はそれでええだ」

侍は頷いた。「では決まりだ」そう言って立ち上がる。

村おさは女房を呼ぶと、侍を納屋に案内するように言った。

侍はそこを離れようとして、何かを思い出したように立ち止まった。

「そうだ…もう一つ頼みがある」

「なんだぁ」そらきたぞと言う顔の村おさ。

「俺がくたばったら墓の一つも立ててくれ…ゴホン」咳を一つして侍は出て行った。


侍がいなくなると、入れ替わりに数人の村人が入ってきた。 話を盗み聞きしていたようだ。

「村おさぁ。大丈夫かのう」

「一応、だんびら下げ取るんじゃ。任せて見ようや。あげに安い侍、そうはおらんで」

「だどもなぁ…顔色が悪いし…外で咳こんどったぞ」

「あん?それがどうしたぁ」

「労咳じゃねぇか?」

一同がぎょっとする。 後の世で「結核」と呼ばれるこの病気は、長らく不治の病であり、かかれば助からぬ死病であ

った。

「村おさ…」

「し…しかたあんめぇ。明日からは村外れの猟師小屋に寝てもらうだ」

不安そうに顔を見合わせる一同。 しかし、鬼は現実の脅威であり、侍がいなくなれば自分達がこれを退治するしか

ない。 止むを得ないという意見が大勢を占めた。


翌朝、侍は猟師の太兵衛とともに山に向かった。

山森の入り口辺りに一軒の小屋が建っている。

「今夜からはここで寝ておくんなまし」

「遠いな…」ここで大声で叫んでも。村はずれの民家に届くかどうかという距離がある。

「だども、鬼が出たら必ずここを通る…はずだぁ」

「そうか…」侍は村人達の真意に気がついていたが、何も言わなかった。

(家の者達ですら見放した病だ…まぁ仕方あるまい…)


侍は猟師の案内で、山に分け入った。

「鬼がこちらから来たのは間違いないのだな」

「へぇ…血の跡を辿っていったらこっちの方へ…」

「なんだ。ではねぐらは判っているのではないのか?」

「それが血の跡が途中で絶えていまして…」

「そうか」

「それが…丁度その辺りで…」 と猟師が少し先を指差したその時。

ザッ… 風を巻いて上から何かが降ってきた。

侍と猟師…そして何かは五歩ほどの間を取って対峙した。


一種の間の後、叫び声を上げて逃げ出す猟師。

それを背中で見送って、侍は大刀を抜き放ち、中段に構えた。

(鬼…これが鬼か?)

侍の前に立っていたものをなんと表現すればよいのだろうか。

肌は青、抜けるような空の色だ。 頭から背中、二の腕に掛けてに虎縞の毛皮を着ている…いや、虎縞の毛が覆っ

ている。

そして胸から腹は青い肌がむき出しだ。

太く逞しい腕と足、締まった腹の筋肉、そして豊かな胸…

(雌鬼…なのか…)

足をじりっじりっと動かしながら侍は考えた。

人ならば髪の毛があるはずの所を、背中同様に虎縞の毛皮が覆っている。 そして耳は…頭のてっぺんに三角の耳

が二つ付いている。

(なるほど…夜目にはアレが角にも見えようて…)

雌鬼は、侍に合わせるように、身をかがめながら回り込もうとする。

長いカギ爪の生えた手を構え、口から鋭い牙を覗かせる。

グルルルルル… 喉から獣の唸り声が漏れてきた。

侍は気おされたように後ずさりしながら、刀を斜めに構え直した。

(…なんと恐ろしげな顔よ…)

雌鬼の両眼は、いわゆる猫目になっている。 これで猫の髭が生えて、鼻の下が割れていれば完全に虎女であろう

が、その二つの特徴は見当たらない。

しかし、目の周りががくぼんで凹凸の激しい顔は、侍にとって見慣れぬ『異相』であった。

もし彼が、オランダやイスパニアの船員と会ったことがあれば、それが南蛮人風であることに気が付いたかもしれない。


グゥゥゥゥ… 虎女の唸りが高く低くなる。 侍の隙を伺うかの様に、左のほうに少しずつ位置を変えていく。

(…)侍は自分の心臓が早鐘のように鳴り響いているのを感じる。

虎女の目を見つめたまま、刀の切っ先をじりじりと上げていく。


グオゥ!! 虎女は大きく吼え、飛び上がった。 一瞬で侍の視界から消えた。 すさまじい跳躍力だ。

慌てて上を見る侍。 逆落としに虎女が襲い掛かってきた。

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